重症心身障がい児とその家族を支えることを目指して、小さな一軒家での通所事業開始から早8年目。今では施設を運営し、通所事業「療育室つばさ」、相談支援事業「相談室とまりぎ」、居宅介護事業「訪問室JUMP」を展開。
重症心身障がい児を支援する業界文化の中で、専ら話題になりやすい福祉、医療、リハビリテーションの協働について、当法人でも事業目標に掲げて一日でも早い実現に向けて創意工夫を試みている。
看護師も年々その数を増やしている中、地域の福祉施設への就職率は未だ高まったとは言えず、その最たる理由として「業務内容がよくわからない」「子どもは怖い」「大変そう」などが挙げられる。果たしてこれらは永遠のテーマなのか。
いや、医療の進歩と共に高度な医療に依存して生きる子どもたちが増えている中、地域ではそんな子どもたちの育ちは保障されていない。その問題はまさに「今」起こっている。地域における看護について、当法人の中心的存在を担う看護師、原島と笠島がその熱き想いを語る。

「重症心身障がい児の生活を支援する立場になって」

原島:療育室つばさに勤めて約1年が経ちます。地域看護や重症心身障がい児の分野において、看護ケアに関してはある程度の知識と経験があったけど、通所支援という場での看護の専門性って未だ明快な答えは見付かっていないのが正直なところ。前職では療育センターで主に医療行為を受け持っていたのだけれど、療育をするということに関しては、このままで良いのかと疑問に思っていた。その頃、看護領域でも「地域」というワードが持て囃され、必要性の高まりも身近に感じていましたね。

笠島:私もつばさに入って病院勤務の時とは違うことを考えるようになりましたね。以前はお子さんをどのように退院に繋げていくかという中間的な役割を担っていました。両親の障がい受容を含め、生活環境を整えるために何度もソーシャルワーカーさんとカンファレンスを開きました。でも、地域の社会資源に限りがあったり、訪看のステーションが障がい児の受け入れが初めてだったり。退院後の方がずっと長い期間を過ごすのに。それで転職先は重心児の生活支援の場を選びました。療育室つばさに入職してからは、ご家族は我が子に、つばさでどのように過ごして欲しいと思っているのか。そう考えるようになりました。きっと痰の量とか、呼吸や皮膚の状態についてを聞きたいんじゃない。きっと、子どもとして当たり前の時間を過ごせたのかを知りたいはず。そして私たちは家族と介護・看護をしているわけじゃない、一緒に子育てをしてるんだと。


「看護師として感じる課題や役割について」

原島:地域では確かに家族との関わりが分量を増します。入院治療や入所支援だと、ニーズ丸抱えの環境だから、家庭における時間はほぼ無い。対して通所支援になると、ほとんどの時間子どもたちは家庭で過ごしている。看護師として、保護者から医療ケアの仕方や考え方についても相談されることがあり、炊事、洗濯、掃除、そして何より兄妹をみながら、つまり「生活」の中に医療行為が当たり前に入ってくる。ケアのスケジュールの組み立てについて、時に同時に関わっている訪問系の医療従事者と連携を取りながらアドバイスすることもある。発達支援、家族支援、両方のスキルが身に付くことも地域で働く看護師としてのスキルアップであると捉えたい。

笠島:そう!そんな時、地域で子どもを支えているということが主軸になるから、治療する為の医療ケアではなく、日常生活に必要なケアを提案する。あくまで精神衛生と自己決定を優先することが大切。地域に出て働くようになってから、脳内でスイッチを切り替える必要がありました。

「不安だったこと、安心したこと、療育室つばさはこんな所」

笠島:通所事業所のような、常に医師がいない環境だと、看護師である限り不安は付きまとう。でも、入職して保育士や児童指導員、看護師の動きを見て、ここでの目的は治療ではない。そう思えたことで、不安は解消していきました。治癒、回復が必要な子どもたちではなくて、遊びを通して発達し、社会性を高めるという小さな生活者なんだと。私の場合、勤務初日に原島さんが付いてくれて、子どもたちにとって看護師は医療ケアをしてくれる人ではなく遊んでくれる人。その中で、痰が詰まったり、お腹が空いたりした時にひょっこり看護師になる。そう話してくれていたのを今も良く覚えていますよ。

原島:そうですね、私も付いてくれた先輩の看護師さんがいつも笑顔でいるから、ふとこの仕事を楽しむ秘訣を聞いたことがあるんです。そしたら、その日によって違う子どもの機嫌や欲求。それらを遊ぶことを通して理解すると、途中で入ってくる医療行為も当然変化してくる。以前は出来なかったことでも、次に会った時には出来るようになっている。医療行為を通じて子どもの成長を見て取れるなんて、この仕事の醍醐味でしょ。なんて話していました。

笠島:病院勤務の時は、退勤すると「やっと何事も無く終わったぁ」って、また次の日にやってくるであろう怒涛の一日に備えて寄り道せずに帰らなきゃ、と余裕の無い日々でした。でも今は、帰り道に公園で遊ぶ小学生たちを見て「よし!明日は今日とは違うアプローチをしてみよう」なんて、もう子どもに会いたくなってる自分がいる。ひょっとしたらニヤニヤしているかも笑

「新しい仲間とも一緒に悩み、成長したい」

原島:予想に反してつばさで働く看護師の経歴や想いは様々。NICUの経験者以外でも、訪問系の仕事をしていた人や町のクリニック出身の人も。療育室つばさは、福祉系、リハ系の職員さんでも、基本的な医療の知識があって、何でも聞ける。職種間での風通しが良いとも言える。だから必ずしも小児を経験していなくても何年も続けていられる原動力になっていると思う。必要以上に時間を気にする人もいないし、殺伐とした雰囲気を出す人もいない。そんな環境だからこそ、未だ私の中でも完成されていない「生活や成長を家族まるごと支える看護」において答えを見出したい。そうすれば社会において、地域で活躍出来る看護師の認知度も上がっていくはず。

笠島:そうですね。施設関係者や家族だけが、子どもたちに医療的なケアが必要であることを知っていても療育って完結しない。「育つ」ことを支えられない。地域の人たちにも、呼吸器があるのが普通。チューブが付いてるのが普通。そんな普通もあるということを広めていきたい。子どもたちが、保育、就学、進学、就職というライフステージにおいて、つまずくことが無いように。

原島:医療ケアが要るということは未だ大きな壁であることは事実。保育園にも通えない。つばさに来ている子どもの中には、保育の環境の方が適しているはずの子もいる。地域で働く看護師が増えれば、保育園に行ける子どもも増えるし、医療機器があっても電車にだって乗れる。障がいを持っている子が、持っていない子と同じ生活が送れる社会に出来るんです。